公的なブログではあるが、私的な内容を綴らせていただく。ご了承願い賜ります。多分友人もそんな気分だろうと思ってみたらやっぱりそうであった。以下添付します。
http://maruyama.beblog.jp/blog/2011/10/post-b51c.html
一昨晩とある理由で気の会う仲間と酒を酌み交わした。
久しぶりに『生き方』について語り合ったと思う。
かれこれ5時間はたったか、最初から最後まで熱く語った・・・。こんな時はいつも場末の居酒屋で日本酒と決まっている。
最近はお互いの道にあまり干渉せず『独立自尊』の精神でいたように思う。それがいいのか、いけなかったのかは問うところではない。
静岡に同業の同志がいて、ふと話したい時に誰からともなく声がかかり集結する。そして、昨日会っていたかのように話が始まる。そんな仲間がいるというだけでこの上ない幸せを感じる。
憎まれっ子世にはびこるという諺がある。世にはびこる者は憎まれると逆説的に説いた偉大なる人物がいる。
名著 『武士道』 『修養』の著者 新渡戸稲造博士の実践的人生訓を読み説く解釈本において
新渡戸先生の考えられる『はびこる人』の意味は、社会において自分の主義主張を貫いている人一途に物事を成し遂げている人を示すそうである。幕末において、近代日本を築いた方々はまさに、『はびこる人』によってつくられたと思う。
坂本龍馬の辞世の句
『世の中の人はなんとも言わばいえ 我が為すことは我のみぞ知る』
自分の好きな言葉の一つである。
何事かを為せば必ず非難する人もいる、これ世の中の常。
かようなものは、自分の志や目的を達成する代償である。そう思って進んでいる。志を成し遂げるにあたりこの仲間達とは、はびこるくらいの勇気をもって一緒に前にすすみたいと思っている。
新渡戸先生 得意の古歌によると
『咲かざれば 桜を人の折らまじを 桜の仇はさくらなりけり』
これまた桜は咲かなければ折られはしない。ゆえに桜の敵は咲く桜である。人は大小に関係なく何事かをなせば、必ず何人かの恨みも受けるものである。だが桜は咲くのが命であり、人間も何事かを為すのが天命である
世のため人々のためになるような歯科医療を目指して日々修養しているだろうか
毎日考えて生きたい。
麻生 幸男